曇りなき眼で見定めブログ

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ナチスと新書の記事にコメント

 こんな記事を読んだ。

gendai.ismedia.jp

雑誌「群像」が講談社現代新書とコラボした企画らしい。それを知らずに読んだので後半で「なんで急に新書を薦めだしたのだ?」と思ってしまった。

 著者の田野大輔先生はなかなかのトゥイッター強者らしく、トゥイッターでなんか言って見つかったら怒られそうなのでブログでコソコソ書くことにする。

 「ナチスは良いこともした」という人って確かにいるよなあ。私もそういうのをネットとかで見るので「へ〜」と思っていた。でもそうじゃないらしい。「良いこと」の例とされる失業者対策(私も聞いたことある)も実際はたいして良くなかったらしい。私は歴史をあんまり知らないのでそもそもこの記事自体が勉強になった。しかしよく知らないからこそ謙虚になるべきで(無知の知)、専門家に講釈を垂れるようなことは私は決してしないだろう(専門家である田野先生が「ナチスは良いこともしましたよ」と「教え」られた話がこの記事の前半の話)。

 で、そういう人が出てこないための対策として、新書のような手軽かつ堅実な入門書が重要だと述べている。なんというか、田野先生は本気でそう思っているのだろうか? 企画の趣旨がそうだから取り敢えずそう書いたのか? 実際おすすめしている新書は良い本ぽいし、良い新書がたくさん出るのは良いことだが、田野先生がトゥイッターで遭遇したような人たちに「新書を嫁」と言っても意味がない気がする。そもそもあんまりそういう本を読まなそうな気がするし、潜在的にこういう人はもっとたくさんいるはずで田野先生と直接やりとりしないと良い本に出会えないようでは意味がない。

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↑田野先生はこういうのをリトゥイートしているので、まあ新書がもろもろを解決すると本気では思っていないだろう。

 私の考えでは、こういった専門家に講釈を垂れようとする態度が悪いはずで、それを脱するには知識を得ることよりも継続的な読書で知の世界の広さを体感することが必要だと思う。知識が広まらないことよりも、知識を広める立場の人への信頼が広まらないことが問題なのではないかと。

 しかし上のトゥイートもそうだがトゥイッターの人というのは(拙者もやってるけど)なんか口が悪くて怖い。田野先生のトゥイッターもなかなかである。記事の中でも

だが「ナチスは良いこともした」と主張する人たちにあっては、そうした反権威主義的な姿勢はいわゆる「中二病」的な反抗の域を出ず、歴史から真摯に学ぼうとする態度につながることはほとんどない。

と書いていて、「そんな言い方せんでも…」と思ってしまった。これは私には悪口に見えるのだが、どうだろう? 私がナイーブ*1すぎるのかもしれないが。だがトゥイッターをやりすぎて悪口の感覚が麻痺してる人って私はけっこういると思う。田野先生も授業では学生に対してこうは言わないのでは。

 新書を薦めるにとどまったりとか、中二病呼ばわりをしたりとか、こういう知識人の方は知識のない人と接するのが嫌なのだろうな〜と思ってしまった。これじゃあ信頼なんて結べないのでは。

「新書なんて薦めてもムダっすわ(笑)」

「ほんまやね」

つってまた各々の世界に戻って終り、というまあいつもの光景に落ち着いてしまうのではなかろうか。分断というやつ。

 

 ↓この本がオススメらしい

*1:「ナイーブ」という言葉の意味ってよくわからんのですが使い方あってます?