曇りなき眼で見定めブログ

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ウォルトン『フィクションとは何か』読書会記録其ノ弐拾壱・第8章4節から終りまで(予習編)モビルスーツやエヴァンゲリオンといった現実にありえないものの描写に"リアリティ"を感じるのは何故だろう?

 メイク・ビリーブ、はじまるザマスよ!

 描出体の続きであるよ。

写実性

 写実性(realism)についてはちょっと言いたい事例がある。ちょうど『機動戦士ガンダム 閃光のハサウェイ』を観てきたので(【何やってるの!】ガンダムにわかの私が『機動戦士ガンダム 閃光のハサウェイ』を観た感想!【バカにするぅ!】 - 曇りなき眼で見定めブログ)。本書では『指輪物語』の描写を例にとり「最大限に空想的な作品でも、もう一つの種類の並外れた「写実性」をもつことが可能なのは明らかである」ということを論じている(324ページ)。モビルスーツみないな現実には今のところ実現が難しそうと思われているものでも、うまく作画をすると動きにリアリティが出ることがある。以下の磯光雄作画MADを見てほしい(2021年にアップされた最新版)。


www.youtube.com

この中の『機動戦士ガンダム0080 ポケットの中の戦争』は作画史上でも有名で、モビルスーツをキャラクターっぽさのない無機質な兵器として描くことに成功しているといわれる。「いわれる」というか実際そう見える。これはすごいことである。あとアスカのエヴァ弐号機と量産機の戦闘シーンもそうである。現実にこのような巨大ロボットがいたらこんな動きをするだろうという感じがする。ただしエヴァモビルスーツと違ってバイオテクノロジーの産物なので、もうちょっと生物みがある。という点も写実的である。おそらく磯氏は「『もしこんなものが実在したらこんな感じに動くだろう』と人々は想像するだろう」ということをわかって描いている。それはそれ以前のモビルスーツ描写などへの人びとの無意識化の違和感みたいなのを察知しているのだと思う。

様相、音楽

 「様相」ってなんの訳語だろう? "modality"だろうか?「様相論理」とかの様相ではない気がする。"mode"かも。様相横断的な描出というのは、ある感覚(様相)から別の感覚(様相)への変換であるという。

 音楽論はけっこう興味深いのだが、私はあんまりマジで音楽を聴いたことがないのでよくわからない。久石譲の曲を聴いて癒される、とかそういうのはわかる。ヒーリングである。こうした音楽を聴くことに付随する内観は音楽作品の描出だという。

 さて、しかしJ-POPだと音楽においては歌、ひいては歌詞が重要である。歌詞はもちろん言葉であって、言語的な表象体になる。これは様相横断的な描出を利用しているのか。言葉を音に変えたりとか??

視点

 なんか「漫画では、知覚している登場人物に見えているものの描写は、その登場人物の絵に付随する吹き出しの中に入れられる」(337ページ)とあるのだけどこれがよくわからない。アメコミ文法だろうか?

 それはさておき、この「視点(描出体における)」という節はピカソキュビスム絵画や黒澤映画『羅生門』を同じ角度から論じていておもしろい。キュビスム絵画は一枚の中に複数の視点から見たはずの描写が混在している。『羅生門』は場面ごとに異なる人物の視点から見た世界に切り替わる。キュビスムではそれらがそれでも全体を形成していることが重要だが、『羅生門』では場面ごとに異なる想像をするからおもしろい、ということらしい。

 先日の『映画大好きポンポさん』の感想でも書いたが、アニメではとにかく図とか抽象的なモデルみたいなのとかを使った演出が多い(本書では天気図とかは描出ではないとされてた)。ポンポさんはとくにそれが多い。また個人の心象風景に他人が入ってきて話したりとか、時間が飛んだり戻ったり、時間を数字にして画面にデカデカと書いたりする。こういうのはマンガの影響だろうか。そもそもマンガというのは『羅生門』とキュビスム両方の特徴を持ち合せていると思う。いちおう一コマ一コマについて順番に描出を見るが、見開き全体でひとつのようでもある。さらにマンガ的なブチ抜きとか描き文字とか変なコマ割りや吹き出しがある。実はマンガは「描出的」度合いが小さいジャンルなのかもしれない。それがアニメにも浸透しつつあるとかかも。