曇りなき眼で見定めブログ

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メンタリストDaiGoさんがヴィーガンを"論破"していました

 メンタリストDaiGoさんがヴィーガンを論破している切り抜き動画があった。ふたつ。


www.youtube.com


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私はヴィーガンでもベジタリアンでもなんでもないのだが、ヴィーガンの気持ちになってちょっとこれに反論してみたい。しかし元動画がわからないのでこの前後に何か文脈やフォローがあるのかもしれない。だとしたら申し訳ない。

 私は伊勢田哲治『動物からの倫理学入門』を読んで勉強したことがあるので少し知識がある。

この本は動物倫理から倫理学全体に入門するというユニークな教科書である。

 最初に注意しておくが、ヴィーガンというのは(肉だけでなく卵や乳製品も含めた)動物性食品を一切とらない人のことで、ベジタリアンというのはヴィーガンも含めた菜食主義・非肉食思想の総称である。

ひとつめの動画への反論

 質問は「"動物を食べるのはかわいそう"という意味がわかりません。一部の畜産農家の虐待から"動物かわいそう"に行く思考回路が謎」というふうである。質問の時点で二つの論点が混在している。(1)動物を食べるという行為が残虐、と、(2)家畜の飼育環境が良くない、である。これらは見たところ別の問題であろう。ベジタリアンヴィーガンというのは食やライフスタイルのことであって、動機はけっこう人によって違うと思う。動機が(1)の人もいれば(2)の人もいて、また別の人もいる。健康とか。なのでヴィーガンの思想に反論したいならば動機を精査すべきである。

DaiGoさんの論点の整理

 DaiGoさんはいくつもの反論を展開しているのでこれを整理する。

  • 家畜動物は食肉文化(畜産)がないと絶滅する。
  • 人類は肉を食べることで進化してきたので肉を食べることは自然である。
  • 肉(動物性食品)を食べないのは健康に悪い。

それぞれに反論していこう。

家畜動物は畜産がないと絶滅する

 この反論で気になるのは、種と個体でカテゴリーミステイクをしているのではないか、ということである。例えばニワトリの個体にとって、ニワトリという種が絶滅することは関係ないのではないかと思う。

 功利主義の考え方では、個体ごとの苦痛の総量を減らすことが重要である。いわゆる動物解放論者はここを重視する。とすると、苦痛に満ちた生涯をおくる家畜が量産されるくらいなら、絶滅したほうがよさそうである。欧米では、家畜はなるべく解放的に育て失神させてから殺すことで苦痛を減らす、という妥協点にあるらしい。殺生を禁ずるという考え方からすると、殺されることが決まっているくらいなら生れないほうがよいということにもなろう。

 功利主義の考え方は倫理学に不慣れな人にとっては奇異に映ると思う。なので功利主義者の議論を用いた説得というのは難しい。DaiGoさんの論点のなかでもこれがいちばん有望だと思う。

人類は肉を食べることで進化してきたので肉を食べるのは自然

 倫理学においてヒュームの法則という有名なテーゼがある。

「である」から「べきである」を導き出すことはできない。

というやつである(倫理学の入門書にはたいてい載っていると思うので調べてみていただきたい)。よく考えてみればわかるが、「〜である」と「〜するべきである」にはなんの論理的な繋がりもない。「である」から「べき」を導く推論を正当化したいならば他の前提が必要になる。DaiGoさんはこれを破ってしまっている。進化の歴史上の事実であったとしても、だからといって我々の行為がそうあるべきとはならない。また、屍肉あさりをせざるおえない環境に適応した形質がたまたま知的能力に繋がったからといって、現生の個体が当時の習性を真似する必要はない。要するに進化というのは種の歴史のレベルで起るのであって個体レベルの行為に関係はない。ここでも種と個体を混同しているように思える。

 また、こういうのはだいたいの場合たくさんある説のなかのひとつでしかないはずである。「○○のおかげで□□が進化した」みたいなのは簡単にわかるものではないし、まして人類の知的能力や言語能力の研究はまだまだ発展途上の分野であるから、そもそも事実かどうかがよくわからない。

 それに、畜産が工業化されている現状のほうが人類の歴史からすると不自然であろう。DaiGoさんは狩猟や屍肉あさりによる肉食を想定しているわけではあるまい。

肉(動物性食品)を食べないのは健康に悪い

 これもどうなのだろう。科学的事実なのだろうか。まずそこがわからない。ただ、ビタミンB12が動物性食品からしかとれないというのは事実らしい。なのでヴィーガンはサプリで摂ることになる。サプリで摂ると肌がガサガサになるというのがDaiGoさんの主張である。

 肌ガサガサ説が本当だとしても、健康ではなく倫理的な動機でヴィーガンになった人は、動物性食品を食べるくらいだったら肌がガサガサになったほうがましと考えるのではないだろうか。

ふたつめの動画への反論

 ふたつめの動画はなんか声だけだし口調が荒くて怖い。

DaiGoさんの論点の整理
  • 人類が皆ベジタリアンになったら家畜動物は殺される。絶滅する。
  • 植物や虫は殺していいのか? 家畜動物を特別視するのはおかしい。
  • 人は命を奪って生きるものなのだ(? 論理展開がよくわからない)。
  • 野菜だけを食べるようになったら畑を作るために森を切り開く必要がある。そこに住んでいる動物を殺すことになるのでは?
人類が皆ベジタリアンになったら家畜動物は殺されたり絶滅したりする

 これはひとつめの動画でも最初に言っていた。ふたつめの動画のコメント欄でも書いている(本人がコメントしているので、この切り抜きは公認なのだろう)。DaiGoさんのなかでこれがいちばん重要な反論なのだろう。

 絶滅という点に関しては先述のとおりだが、いま現在飼育されている家畜が殺されるということはありえるのだろうか? 急激に全人類が肉を食べなくなって畜産農家が家畜動物を持て余すということは杞憂なんじゃないかと思う。徐々に菜食主義やヴィーガニズムが浸透して肉食文化が減っていけばよいのではないかと思う。また、ラディカルな功利主義者は家畜として育てられるくらいなら殺したほうがよいと考えるかもしれない。

植物や虫は殺していいのか? 家畜動物を特別視するのはおかしい

 これは簡単に反論できる。動物倫理学の初歩的なところだと思う。

 苦痛を減らすのが目的なのだから、苦痛を感じない植物や虫への配慮は(少なくとも哺乳綱や鳥綱の生物ほどには)必要ではない。植物や虫も苦痛を感じていると考える人もいるだろうが、その場合は殺してはいけない範囲に植物や虫を入れることになる。そういうヴィーガンよりも強い思想の人もいるだろう、という話である。

 また、殺すことと飼育過程で苦痛を与えることとは別であるという論点はここでもまた生きている。

人は命を奪って生きるものなのだ(?)

 このあたりは何を言っているのかよくわからなかった。感情的になっているようだった。

「自分が多くの命を犠牲にして生きてるってことを考えるべきですよ」

「自分が生きた価値ってのをより多く残して、より多くのものを幸せにするってことを考える必要があるわけですよ」

「命を殺す責任から逃げるなよ」

「命をいただいてるってことを認識すべきなんですよ」

などと言っておられるのだが、こういうことを真剣に考えているからこそヴィーガンになるのであって、なんだか話の展開がおかしい。

 また、「命をいただく」という言葉はけっこう怪しい。現代日本では「人は命をいただいて生きているから、感謝すべき」という考え方が流布しているが、食べられる動物からしたら感謝されたってちっとも嬉しくないだろう。この思想の起源はけっこうあたらしいらしく、伊勢田哲治先生が検証している。

blog.livedoor.jp

野菜だけを食べるようになったら畑を作るために森を切り開く必要がある。

 これはかなり有力な反論だと思う。だが、うまく環境に配慮したやり方が発見されたならそれでよいのだから、これだけでは決定的な反論にはならないだろう。

私が言いたかったこと

 ひとつめの動画で「ヴィーガンはいくらでも論破できる」と言っているのだが、少なくともこの切り抜き動画ではまったく論破になっていない。私はそれを示したかった。いま、日本は空前の論破ブームである。西村ひろゆき氏とか論破の達人として人気である(ひろゆき氏への批判も、なんかいいのがあったらいずれ)。ひとつめの動画は(DaiGoさんの本意ではないかもしれないが)タイトルに「完全論破」と書いてしまっている。しかしDaiGoさんは自分で「論破しました」と言っているだけで、実際にヴィーガンと議論して説得したわけではないではないか。論破というのは実はけっこう難しいのである。さらに私のこの記事に対してDaiGoさんはいくらでも反論できるだろうし、そうやって議論は煮詰まっていく。こういう「論破してやった感」を出すのが上手い人に騙される人が減ることを祈る。

 あとDaiGoさんの動画って何故カメラの角度がパークマンサーと同じなのだろう?

 

あと念のためもういちど述べておくが、私はヴィーガンでもベジタリアンでもない。

 

読みましょう。

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