ものすごい街中に引越したのでシネコンが徒歩数分のところにある。ミニシアターもまあまあ近くにある。というわけなのでなるべく週一回くらいのペースで映画を観たろうかなと思っている。
当地で記念すべき最初に観た映画は『すばらしき世界』(以下:『すばせか』)という作品であった。これの感想を書きまっせ。そしてちょっと前に観てまだ感想を書いていなかった『ジョゼと虎と魚たち』(以下:『ジョゼ』)についても。『すばせか』はけっこう『ジョゼ』と被る部分があって、観ながら思い出していた。
『ジョゼと虎と魚たち』
観る前のモチベーション
私は実写映画に疎くて、実写映画版が有名だというのは知っていたけれど見ていない。原作はあとで読んだ。しかしなんとなくのイメージはあって、けっこうエロス+退廃的な作品だと思っていた。ところが公式サイトを見ると「感動」みたいな感じではないか。しかもクリスマス公開。なんか妙な感じを覚えつつ観にいった。
ただ、制作はボンズ(以下:ズンボ)とのことで、作画には期待していた。『鬼滅の刃 無限列車編』の感想*1でも挙げたのだが、ズンボ制作の劇場アニメで『ストレンヂア 無皇刃譚』という素晴しい作画の作品がある。これ以外にもテレビアニメでもズンボは作画に拘っている印象である。
あとジョゼ役の清原果耶さんは朝ドラ『なつぞら』で好演していてけっこう演技実力者という印象である。
というよりももっと個人的に大きかったのは「プペル&キメヤイショック」の直後に観たという点である。キメヤイというのは『鬼滅の刃 無限列車編』のことである。これらが物凄くつまらなかったというのがあって*2、まあそれよりは良いだろうという気持ちが強かった。
観た感想
さすがに『プペル』や『キメヤイ』よりは良かった。福祉って大事だな〜と思った。
しかし作画的な見せ場は特にないように思った。その点はすごく残念である。
キャラクターデザイン(原案はまた別)の飯塚晴子さんだが、私は同じくこの人が担当した『たまゆら』というのを見ていたのだけれど、アニメ界一の「アニメっぽいかわいいキャラ」を描く人だと思う。それに対してキャストは専業声優とそうでない人が半々くらいで、特に主役は実写の俳優である。実写の役者の映画っぽい演技とアニメっぽい見た目とがあまり合っていない感じがあるの。要するにジブリ作品のような「『アニメ』ではなく『映画』を志向しています」みたいなものを目指しているのかそうでないのか微妙なのである。そうでなければ「ジョゼと虎と魚たち」を原作にアニメ映画を作ろうとなはならないはずだし、そうなのであれば飯塚さんらの絵は合っていない。けれどこれについては私がもっとそれくらいの作品を見て慣れるべきだとも思う。これは新しい第三の方向性なのだろう。
作品全体の方向性+キャラクターデザインの問題として気になったのだが、ちょっとジョゼがかわいすぎると思う。実際に「ジョゼ」という名前だったとしてもあんまり違和感がない容姿をしているのは作品のテーマを考えるとどうなのか。またこれだけかわいかったら好きになるのも当然で、二人の間のいろいろな障壁とかがちょっと霞む。よくあるツンデレキャラに見えてしまう。
ジョゼの家の収入源がよくわからなかった。どこからツネオへのバイト代が出るのか。これが原作だと生活保護を受けていて、そもそもツネオはバイトではなかった。このあたりはアニメ映画のほうは詰めが甘いと思った。これについては『すばせか』と関連してまた。ジョゼのおばあさんが臆病な人なのか豪快な人なのかもよくわからなかったのだが、原作は短いのでジョゼのおばあさんの描写はほとんどなく疑問はない。
その後
田辺聖子による原作小説*3はごく短いとのことだったので読んでみた。やはり原作とアニメ映画ではまったく違っている。話を現代にしてアニメにして長編にするのだからまったく別になるのは当然だが、だとしたら何故これを原作にアニメ映画を作ろうと思ったのだろう? それはさておき、話とか世界観だけでなく、根本のテーマがまったく違うというかむしろ逆のように思うのだがどうなんだろう。ただの観客である私は別にいいのだが、これで「ジョゼと虎と魚たち」というタイトルにしてしまっていいのだろうかと思うほどなのだが。田辺聖子はもう亡くなっているが、田辺サイドはどういう想いなのだろう。
アニメ映画版はとにかくキラキラしすぎているのである。夢とか希望とかそういうのではないところに幸せを見出そうとするのが原作の良さだと思う。
原作では"虎"を見るシーンが非常に叙情的で良いのだが、アニメにしてしまうとけっこう陳腐である。アニメは普段から鬼だとか使徒だとか恐ろしげなものをビジュアル化するものなので、アニメで虎をそのまま描いてしまってもまったく怖くない。
それよりも"魚"の扱いである。原作ではこの魚というモチーフがとても深遠で良いのだが、アニメ映画では魚がキラキラの象徴として出てくる。この改変はマズくないだろうか。
ただ、前節でジョゼがかわいすぎると書いたが、原作では「日本人形のような」というように描写されていた。おそらく美人という感じではないかもしれないが汚れのない美しさであろうと思う。またわがままなというか傍若無人な性格がかわいいという感じでも描かれている。アニメ映画版のデザインは洋風すぎるしテンプレツンデレキャラに寄りすぎているようにも思うが、この原作をアニメにするにあたってツンデレとして解釈したのは悪くはないような気もする。
『すばらしき世界』
なぜ観たのか
まったくもって実写映画を観なくなって久しいのだがそれはアカンと思い、知り合いにオススメを聞いてこれを観ることにした。現代社会の暗部を描く作品みたいだし耐えられるかな〜と思いつつ観にいった。
観た感想
結果、けっこう良かった。やはり実写映画も観ないとなあ。福祉って大事だな〜と思った。
なんか、アニメと違って建設的な感想が出てこない。なのでいろんな切り口を試して書きます。
白竜もまた日本映画の闇の受け皿である
役所広司は日本を代表する映画俳優で、国際映画祭で賞を取るような映画によく出演している。ちょっと日本映画は役所広司に依存しすぎじゃないかと思う。
もうひとつ日本映画が依存しているのがヤクザである。そしてヤクザといえば白竜である*4。途中で主人公がヤクザに戻りそうになって、旧知のヤクザを白竜が演じている。社会のハミ出し者にとっての闇の受け皿がヤクザだとして、映画にとっても白竜を出してバイオレンスにすることはそういうものなのだと思う。しかしこの映画はそっちに流されることなくヤクザの悲惨さも描かれていて良かった。
役所広司は役所で働いていたからこの芸名になったらしい。白竜に依存せず役所に依存するのは、まあ正解かも。
人よ、何故このような映画を観るのだ
しかし、観ていてすごく嫌な気持ちになる映画である。まあ当然である。苦しい展開が続く。現実の日本社会もまあこんなものなのかもしれない。凄くリアルで身につまされる。
良い映画だとは思ったが、お金を払ってまで観たくはなかった。じゃあいったい「良い映画」ってなんなのだろう。しかしこれは映画とか藝術というものが内包する哲学的難問だと思う。例えばホラー映画なんてのは、恐怖というネガティブな体験をするためのお金を払うのである。というようなことが戸田山和久『恐怖の哲学*5』という本で論じられているようだけどまだ読んでいない。
というよりも、なんだかインテリとかカルチャーに敏感な人たちの間で「厳しい現実をどれくらい直視できるか選手権」みたいになっている感じが気になっている。わざわざ観ていて嫌な気持ちになる映画を観るの理由はそれなのではないか、と。
比較とまとめ
『ジョゼ』に関して「詰めが甘い」と書いたが、『すばせか』は甘くない。けど甘くなさすぎてキツい。ちょうどいいところが欲しい。『パラサイト』なんかは理想的だったなあ。『すばせか』はコメディっぽいところもあるのだが、やや取ってつけた感があって残念であった。