曇りなき眼で見定めブログ

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【アニメ哲学その1】アニメの本質は絵か? 動きか?(あるいは声か?)玉川真吾『PUPARIA』など

 これは聴き捨てならん。私はアニメは絵である前に動き、すなわち映像だと思っている。 アニメの本質は絵ではなく動きである、と。「どこで止めても絵として成立している」というのはアニメに対する褒め言葉として不適切であると私は思う。ちょっとこのへんを題材に私のアニメ哲学を書きますよ。

「作画」とは何か?

 作画の功績と撮影の功績を混同している人もよく見られるが*1、やはり「作画が良い」と「絵が綺麗」を同じ意味で使っている人は多い。しかしアニメ用語としての「作画」はそういうものではないようだ。

 アニメ用語では作画というのは原画と動画の総称として使われる。原画を描く人は原画マンといい、動画を描く人は動画マンという。原画マンと動画マンを合わせてアニメーターという。原画と動画の違いはちょっとややこしいので割愛する。アニメーターの仕事は主に、キャラクターやメカや炎など、動くものの絵を描くことである。絵はそれだけでは動かない。何枚も描いて連続で映すことで動いているように見せる。これがアニメーションの原理である。アニメーターというのは、連続させることで動いているように見えるような絵が描ける、という特殊技能を持った人なのである。

 ちょっと言語分析みたいなことをしてみよう。私の観察では、プロのアニメーター*2は「絵」と「作画」をまったく別の言葉として使う。「作画は上手いけど絵は下手」のような表現も成立する。これはつまり「絵を動かす技術はあるけどデッサンやイラスト的なのは下手」という意味である。しかし一般のアニメ好きやマンガ好きは作画という言葉を「絵を描く作業」あるいは「絵のスタイル」というような意味で使っているようである。前者の使用例は「作画した人」などで、後者は「作画変わった?」みたいなケースである。両者の中間くらいに「作画がおかしい」という言い回しが入ってくるかと思う。これはマンガ制作の用語である「作画」がアニメ用語の「作画」と混同されているから、というか分けずに使われているからだろう。

アニメの本質は絵ではなく「作画」である、と思いたい

 あんまりこういう議論は推奨されないのだが、アニメという語の語源を考えてみよう。アニメはアニメーションの略語である。animationというのはもともとラテン語で、アニマ(anima)すなわち生命や魂を吹き込むという意味である。これは静止した絵を何枚も描いて動かすという営みをうまく言い表しているように思える。animaというのはanimalの語源でもある*3。昔のディズニーや手塚治虫東映動画がやたらと動物ものの作品を作っていたのも本質に迫っている感じがする。

 しかしこういう議論はあまり推奨されないと書いた。なぜ推奨されないのかというと、語源がそうだからといってそうでなければならないということはないからである。例えば経済。英語ではeconomyというが、これはギリシア語のオイコノミア(οικονομια)に由来する。オイコス(οικος)が「家」という意味で、オイコノミアは「家政」と言ったほうが近いようである。しかしだからといって経済の本質は家政にあり、というわけではなかろう。そのへんを考慮して「経世済民」略して「経済」といううまい訳語がある。

 では言葉ではなくアニメーションという概念そのものを分析してみよう。絵のないアニメーションはあるが動きのないアニメーションはない。私にはこのように思われるのであるが、どうだろうか。パペットアニメーションというのは欧米では非常に多い。日本では少ないが、いま「PUIPUI モルカー」が大人気である。3DCGアニメも絵といえるかどうか微妙である。これは、アニメーションは絵かどうかが重要ではないということの証拠であるように思われる。アニメーションというのは、動いているものを撮影するのではなく技術を駆使して動いているように見せるということ、これが真理ではなかろうか。

 アニメーターは、動かしたときにどう見えるかを計算して描く。なので、止めたらどう見えるかは関係ない。これは積極的に主張する意義がある。ネット上でよく「作画崩壊」という言葉が使われる。スケジュールなどの都合で作画の質が低くなることはあるのだが、静止画を抜き出して「作画がおかしい」というバッシングが起こることがある。これはナンセンスである。むしろ、一枚一枚の絵はデッサンが狂っているとしても動かすと自然に見えるというのがアニメーターの技能である。

 また、私は『鬼滅の刃 無限列車編』に批判的なのだが*4、同作はアクションの合間にわざわざキャラクターが静止して決めポーズみたいなのをとったりする。これはマンガの絵をアニメ上で再現しているのだろうが、アニメーションとして本末転倒に思える。動きを描くメディアであるアニメでアクションをやっているのにわざわざ止まるのだから。

アニメの本質ってもしかして絵なのか?

 というような前節の議論には反例がある。つまり、動きのないアニメというものある。しかしそれほどドンピシャの例があるわけではなく、演出として静止画を効果的に活かしたものしか私は知らない。これを見ていこう。

 さて、典型的なのが『哀しみのベラドンナ*5』(1973)である。これはアングラというか前衛的なアニメ作品で、基本的に幻覚的なシーンに動きをつけて現実的なシーンを静止画で描くという演出がとられている*6

 これは極端な例だが、静止画を効果的に使うということであれば普通に行われている。いわゆる「止め絵」技法を多用することで有名な演出家は出﨑統(1943-2011)である。『ベラドンナ』を制作した虫プロの出身である。虫プロというのは手塚治虫を中心としたアニメスタジオで、日本初の長編テレビアニメシリーズである『鉄腕アトム』を制作した*7。その際に製作費を安くしたり早く仕上げたりするために様々な省略技法が、というか手抜きが行われたのは有名な話である。これは当時劇場作品を中心に作っていた東映動画の手法とは対照的であった。特に違うのは作画枚数である。たくさん絵を描いて1秒あたりに映る絵の枚数が多いと滑らかに動いて見える。東映動画や海外の大作アニメはこのような方針で作っていて、これをフルアニメーションという。対して虫プロはこの枚数が非常に少ない。こういうのをリミテッドアニメーションという。虫プロ流のアニメは「電気紙芝居」と揶揄されることもあったとか。しかし出﨑さんの演出は、編集を工夫したり静止画にハーモニーという処理をほどこしたりして劇的な効果を生むものだった。東映動画出身のスタッフも次第にテレビアニメに多く参加するようになってリミテッドアニメーションに順応していき、フルアニメーションの伝統とリミテッドアニメーションの演出技法が複雑に絡まり合ったものが日本のアニメの特徴となった。

 ここでひとつの注意点がある。しかもこれはかなり重大な注意点である。「アニメーション」と「アニメ」は別の概念なのではないか、ということである。アニメーション(animation)というのは英語だが、アニメ(anime)は日本語である。近年は日本のアニメを指す語として英語圏でanimeという言葉が使われるくらいである。つまりアニメーションとアニメは異なる文化的背景や伝統を持った別概念と考えたほうがよさそうだ。

 つまり、アニメーションは動きを本質とし、アニメは動きに加えて演出上で静止画を巧みに利用するもの、と分けて定義してしまえばよいのではないか。東映動画出身のアニメ作家で代表的な人物はジブリ高畑勲宮崎駿である。発言を見てみるに、高畑先生や駿は「アニメ」という言葉は使っていないようである。彼らはあくまで「アニメーション」の監督なのだ。『哀しみのベラドンナ』は「アニメロマネスク」という新しいジャンルと銘打った作品だった。けっこうエロシーンの多い作品なので大人向けということを表した言葉なのだが、浸透はしなかった。まあ伝統的なアニメーションとは違うということは伝わってくる。そして最初の玉川真吾さんのツイートも「アニメ」とは書いているが「アニメーション」とは書いていない。

 また、当然アニメの絵には作画以外にも美術とか撮影とか様々な要素があり、作画だけを特別視するのは独善的かもしれない。

羅小黒戦記を観よ

 ただし、いかにもアニメっぽいけれども動きを重視した作品だってもちろんある。当ブログが激推ししている「羅小黒戦記」なんかがそうである。

 羅小黒戦記は手描き2Dアニメであり、中国の作品だが出てくるキャラクターのデザインや漫符表現なんかは非常に日本アニメっぽい。しかしダイナミックかつ繊細な動きでアクションや日常動作が描かれている。その作画はフルアニメーション的ではなく、洗練されていてメリハリがある。スタッフはかなり日本のアニメの作画を研究しているものと思われる。

 すごくアニメ的なキャラクターとか書くと、アニメの本質ってキャラクターなのかもしれないという感じもしてくる。しかしキャラクターは抽象的な対象だが絵や作画や次節の声は時空的な実体を持つものなのでカテゴリーが違うかなと思う。なので今回の議論とはまた別ということにしておこう。とにかく、アニメ的なキャラクターが素晴しい作画によって縦横無尽に動き回る。それがすごく楽しい。ほら、やっぱりアニメにおいても動きって大事じゃないか、と思ったのである。だから私は羅小黒戦記が好きだ。私にとって理想のアニメなのである。

(声の重要性)

(ちょっと脇道に逸れるが、アニメにおいては声優の声も重要である。これについても書いておく。)

 アニメオタクの多くが作画よりも声優に興味を持つのが不思議だとつねづね思っている。ふつう(広い意味での)絵が好きだからアニメが好きになるのだと思っていたがそうでもないのだろうか。アニメーターは表には出てこないけれど声優はタレント活動もするし情報が豊富なので、そうならざるをえないのはわかる。しかし敢えて世に出ていない情報を追求するのが楽しいのではないか。

 とか書くと私が作画オタクで声優を蔑視しているみたいだがそんなことはない。そもそも私はそんなに作画に詳しいわけでもない。なんなら声優の声が好きであればこそ、あんまり表に出てきてほしくないと思うタイプの人間かもしれない。まあそんなこともないか。とにかく私の声優観はアンビバレントなもので、自分でもあんまりよくわからないのでちょっと横においておく。

 アニメーションにとって動きは本質的だがアニメにとってはそうでもないのかも、というのが前節の議論であった。しかし声はさすがにどちらにとっても本質的ではないのではないか。声のないアニメーションはいくらでもある。アニメーションをアニメと分けるとしても、声のないアニメは僅かながらも確実にある。ただし声のないアニメはけっこう異端ではあるだろう。

 ところが別の論点もある。コミックスの付録なんかでドラマCDというのがよくある。あれはすごくアニメっぽい。絵も動きも何もないのに、である。これはかなり興味深い。やはりアニメにおいてはキャラクターが重要で、しかもキャラクター性には声がかなり寄与するのである。ドラえもんなんかは大山のぶ代さんの声のイメージがかなり強く、水田わさびさんに代ったことでキャラクター性そのものが変った感じがある。

 というわけで、声優の重要性もアニメーションとアニメを分ける大きな要素と考えられる。

問題の『PUPARIA』の感想

 最初のツイートの主は玉川真吾さんというアニメ作家の方で、自身の『PUPARIA』という自主制作短編作品についてのツイートである。『PUPARIA』は私の思う理想のアニメと全く反する思想で作られている。絵は綺麗だし音楽とも合っているが、動きはとても少ないのである。

 しかし。

 この作品はとても良い。美しくて、幻想的というか幻惑的で、本当に素晴しい作品だと思う。良いものは良い。良いものは認めざるをえない。

 玉川さんはサンライズのアニメーターだったが独立して自主制作を始めたらしい。

 本作を見て学んだことがいろいろある。ズームをすることで遠景と近景の見え方に微妙なズレが生じたりとか*8、ピントが変ったりとか、カメラが移動して背景が動いたりとか、本作にはそういうのがけっこうある。絵に映像的な効果を加えていくことがアニメだとしたら、これこそ純粋なアニメなのかもしれない。となるとベースとなる絵が最重要であろう。動きが大事だ、というのは教条的な考えにすぎないのかもしれない。あとやっぱりアニメ的なかっこいいキャラクターが効いている。アニメは深い。

 あと、本作はフツーに動きもけっこう良い。

 三分という非常に短い作品でありながら、かなりアニメ先入観を揺さぶる良いアニメ体験であった。

 YouTubeで公開されているので是非ご覧ください。


PUPARIA

結論

「本質は何か?」みたいな議論は不毛なのでやめましょう。自分の信念に則って良いと思うものを自由に作ったり観たりすればよいのです。

 ただし、本質などという仰々しい言葉遣いはやめて、もっと適切な問いの立て方をすれば本当に哲学っぽい議論ができそうである。こういう考察は楽しいので、今後もっと哲学の議論を援用してアニメ哲学を構築していきます。「その2」は現象学を扱う予定です。

*1:撮影というのは、アニメーターや美術スタッフなど各部署で描いた絵をコンピュータに取り込んで映像にする工程です。昔は実際にセルや絵をカメラで撮影していたのでこう呼ばれます。近年では光やピントやブレなど様々な効果を付け足して画面をゴージャスにすることが重要な仕事となっています。新海誠作品や京都アニメーションufotableはこの撮影の技術が優れているのでパッと見て綺麗な絵だと思えるのです。

*2:私はインタビューやイベントでしかアニメーターの意見を聴くことができないので、そういうところに頻繁に登場するような一流の人に限られるかもしれません。

*3:語源というか語根かな。

*4:

【感想】「えんとつ町のプペル」と「鬼滅の刃 無限列車編」と「羅小黒戦記(中国語音声・日本語字幕)」を観てきたぞ! - 曇りなき眼で見定めブログ

*5:

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*6:そのように言われているが、実際それほどこの法則を守っているわけではない。

*7:『アトム』の何が日本初なのかを正確に言おうとすると難しいようです。

*8:こういうのなんていうのかわかりませんが。