曇りなき眼で見定めブログ

学生です。勉強したことを書いていく所存です。リンクもコメントも自由です! お手柔らかに。。。更新のお知らせはTwitter@cut_eliminationで

【論理学は役に立つ】人文系の大学新入生へ─論理学のすすめ─(あと科目登録で迷ってる人にも)

 春ですね。大学新入生の皆さん、合格およびご入学おめでとうございます。いや〜大学って本当にいいもんですね。そんな私は大学院生です。専攻は哲学。哲学といってもいろいろあって、そのなかでも論理学を専攻します。本記事は主に人文系の大学新入生の方むけに論理学を宣伝するものです。新入生じゃなくても論理学に興味があるけどよく知らない人にも。

論理学とは?

 入学する大学のシラバスがネットか冊子かで公開されていたら見てみていただきたい。「論理学」という科目があったら幸運である。大学によっては論理学を教えられる先生がいなかったりする。実際、多くの大学では他の大学の先生や非常勤の先生で論理学が専門の人を招いて開講している。なので、その大学の先生がそのまま論理学の講義を担当していたらなお幸運である。論理学に興味を持ったらその先も教えていただけるので。さらに幸運な方は、その先生が論理学の単なるユーザーではなく論理学そのものの研究をしているだろう。たとえば英語の先生でも、英語を使った読み書きに習熟しているのみの人よりも英語という言語そのものの研究が専門の人のほうが知識が深い。論理学にもそういう事情がある。

 さて論理学とは何か? 高校の教科でいえば、数学の単元で「集合と論理」というのがあったかと思う。命題とか必要十分条件とか。あれの延長である。大学レベルではもっといろいろな概念や記号が増えて、「自然演繹」とか「完全性定理」とかカッコよさげな言葉が登場する(有名な不完全性定理というのは入門段階ではどういう定理なのか理解するのも苦労するレベルのやや発展的な定理)。

 しかし私の専攻である哲学というのは主に文学部で扱われる学問である。その哲学のいちジャンルである論理学が数学の延長というのは変に思われるかもしれない。でもこれこそ私が論理学をオススメする理由なのである。論理学は、いわゆる理系/文系の"はざま"に位置する学問である。事実、文学部だけでなく理学部数学科や工学系の情報学科でも論理学が開講されているところは多い。その場合は「数学基礎論」もしくは「数理論理学」という名前になっているかもしれない。文学部の科目なのに数学科や情報学科でやるようなことができるというお得感が論理学の魅力だと、私は本気で信じている*1

ちょっと難しい話(飛ばしてけっこう)

 なにゆえ論理学はこのような"はざま"の学問となったのか? 歴史的には論理学は、哲学に関心のある数学者が始めたものなのである。論理学の歴史の初期の人物であるラッセルやウィトゲンシュタイン*2は高校の倫理にも名前が出てくるかと思う。彼らに影響を与えた人物としてフレーゲという人もいる。こうした人々は19世紀末から20世紀初頭に活躍した。フレーゲは基本的に数学者で、ラッセルは最初は数学者で全体的には数学と哲学の二刀流みたいな人だった。ウィトゲンシュタインは数学者としての業績はないがもともと工学を学んでいた。それ以降ヒルベルトゲーデルやゲンツェンといった哲学マインドを持った数学者が発展させ、今日の論理学が確立した。

 彼らの研究の関心というのはこういうものである。数学では論理的な議論をする。これは高校数学でやったような意味での論理である。それを観察してみると、数学の論理には構造やパターンがあることがわかる。つまり数学の議論や証明には構造やパターンがあるのである。構造やパターンがあるということは、それ自体が数学を使って研究できる。数学の議論や証明そのものを記号に置き換えて数学的に研究する、これが現代の論理学という分野である*3

 というわけで「数学をやるとき、我々は実際のところ何をやっているのか?」「数学的における推論や証明とは何なのか?」「証明に理論的限界はあるのか」みたいななんとなく哲学っぽいテーマを扱いつつもあくまで手法は数学である、という微妙な立ち位置の学問である論理学が誕生した。なお、そんな現代論理学の手法がさらに他の哲学的なテーマに応用されてもいる。

形式的な議論

 数学の知識は大事である。というか、あるに越したことはない。しかしがっつり数学を勉強する暇は人文系の学生さんにはなかろうと思う。だったら! 論理学がオススメである。

 大学レベルの数学の教科書は、色々な概念を記号と論理を使って厳密に定義してから話を進める。そういうようにできている。そうすることで概念の使用範囲が明確になって先入観をなくすことができる。こういうのを形式的な議論*4といったりする*5。論理学を勉強するメリットは、この形式的な議論への抵抗がなくなることである。これが身につくと、例えばプログラミングやデータ科学を勉強する必要が出てきたときに役に立つはずだし、人文科学の勉強や研究にもきっと良い影響を与えるだろう。

ちょっと注意点

 論理学は歴史的にフレーゲ(ら)以前以後にわかれる。フレーゲより前の論理学は伝統的論理学などと呼ばれる。フレーゲ以降が現代論理学である(だいたい)。フレーゲ以降は記号を多用して形式化するとか「多重量化」なるものを扱うとかいろいろ違いがある。文学部の論理学の講義は伝統的論理学を教えている可能性があって、ここまで書いてきたことが当てはまらないかもしれない。

 それとクリティカル・シンキングというのもある*6。これは大学の教養科目とか基礎講座みたいなので教わると思う(専門の科目がある場合もあるでしょう)。論理的(批判的)思考能力を鍛えるというやつである。ここまで読んでこられた方にはわかるだろうが、現代論理学は論理的思考能力を鍛える学問ではない。ただし、論理学を学ぶと論理的思考能力がちょっとは鍛えられるかと思う。それ自体が目的ではなく、あくまで副産物として、である。

 論理学の授業のシラバスに「真理(値)表」「タブロー」「述語論理」「自然演繹」、こんなワードが書いてあればアタリです。それは現代論理学を教える講義です(伝統的論理学を勉強するのもそんなに悪くないので一考の価値あり)。

付録

 ↓文系学生向けの優れた論理学の教科書はこちら。戸田山和久『論理学をつくる』。けど若干古くなっているかもしれない。

 ↓こちらの方が良いかもしれないけどちょっと堅め。戸次大介『数理論理学』。装丁がかっこいい。

 ↓やや発展的な哲学風味の教科書。大西琢朗『論理学』。

 ↓ガチるなら理数系向けだけどこちら。鹿島亮『数理論理学』。

 ↓哲学者が書いた読み物風教科書。野矢茂樹『論理学』。著者は論理学の専門家という感じではないので注意。でもおもしろい本。

*1:他の論理学専攻の人がどう思っているかはわかりません…

*2:ウィトゲンシュタインが論理学の人と言えるかどうかは人によって意見がわかれるのだけど、まあまあまあ。

*3:論理学は情報学科でも教えられると書きましたが、記号に置き換えられた数学の証明はコンピュータのプログラムとよく似ているという性質がある。コンピュータの理論と論理学は他にもいろいろと深い関係があったりする。

*4:この言葉、検索してもそれらしいものがヒットしないので、私が勝手に言っているだけかもしれない

*5:高校の教科書でもできるだけ形式的に議論していると思う。

*6:有名論理学ブロガーの「そくらてす」さんに当記事をリンクしていただいていた。

sokrates7chaos.hatenablog.com

ありがとうございます。そくらてすさんによると当記事は非形式論理学に触れていないのが残念らしい。クリティカル・シンキングと非形式論理学は別物という考え方もあるらしく(まあおんなじようなものと思ってた)、それは知りませんでした。すみません。それはさておき、論理を探究の対象と考えていてあまり道具と思っていないのがこの記事の特徴のような気がする。だから非形式論理学への関心が薄いのかも。人文系学生向けの論理学オススメ記事なのに「分析哲学」という言葉も記事内に出てきていないし…。私の尊敬するジャン=イヴ・ジラール先生という論理学者は、論理を徹底して探究の対象と考える人で(たぶん)、論理を道具のように使う分析哲学をめちゃくちゃ批判している。

 非形式論理学といえばこの本。倉田剛『論証の教室〔入門編〕』。ちょっとしか読んでないけど。