曇りなき眼で見定めブログ

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【ネタバレ無しです】シン・エヴァンゲリオン劇場版の感想(初めてあなたを見た あの日動き出した歯車)

 「ネタバレ無し」としたのは、まだ見ていない人向けにオススメするためとかではなく、内容については書くことが思いつかないからです。当ブログはアニメの批評や感想や解説をよく書いているのですが*1、その際に、あまり社会的なこととか自分の内面的なことには触れず、あくまでアニメとして、作品として見ることをポリシーとしています。社会的な面とかそういうことを書くにしても、入り口はあくまで「作品」とすることを心がけています。マンガの感想を書くときにも、私はマンガにはアニメほどの熱はないのですが、そうしています。

 しかし「エヴァ」だけはそういうふうに見ることができません。他の作品の感想では作画がどうとか演出がどうとかいうことを(偉そうにも)書いていますが、今回はそういう感じではないです。それくらい「エヴァ」は私にとって特別なのです。なんかそういう想い出を書いておきます。なのでほぼ『シン・エヴァ』の感想ではないです。すみません。

 

 エヴァは、私が生れたその年のその月に出た号の「月刊少年エース」で漫画版の連載が始まったらしい。私がまだ物心つかないころ、エヴァは社会現象になっていたらしい。私が初めて観た映画はポケモンの『ミュウツーの逆襲』で、これは、今では「旧劇」と呼ばれている一連の劇場版エヴァよりもあとに公開されている。

 初めて『新世紀エヴァンゲリオン』を見たのは、中学二年生の13〜14歳の頃だった。主人公と同い年のちょうどよい時期である。当時はレンタルビデオ店も過渡期で、DVDとVHSが両方あった。私は基本的にDVDで借りて、すべて貸し出し中だったらVHSで借りるようにしていたのを憶えている。当時の私は、ミサトさんと加持さんのセックスとか、劇場版のシンジくんのオナニーとか、意味を理解してるかしてないかギリギリ、くらいにウブだった。

 エヴァという作品に興味を持ったのには二つきっかけがあった。ひとつ目は「IQサプリ」という番組で扱われていたことである。「IQサプリ」は伊東四郎今田耕司が出演していたフジテレビ系のバラエティ番組で、さまざまな謎解きや脳トレクイズに挑戦するという内容である。私と同世代の方はけっこうみんな見ていたと思う。この番組で「IQミラーまちがい9」というコーナーがあった。これは二つの同じ映像が同時に流れてそのなかにある9つの違いを探すというクイズで、要は映像の間違い探しである。ただし二つは鏡に映ったものとして反転している。あるときこのクイズにエヴァの映像が採用されていたのである。当時、私はロボットアニメというものに対して「なんかオタクっぽい」という偏見を持っていて*2エヴァもタイトルは知っていたがそういうものと思っていた。しかしその間違い探しの映像に強く惹かれたのを憶えている。私はアナログ時代のアニメ*3をリアルタイムで見た最後の世代だと思う。それは初めて見るアニメだけれどセル画(という概念は当時はよく知らなかったけれど)の雰囲気に懐かしさを覚えた。そしてそこにはロボットが登場しなくて、みんな制服を着ていた。だからエヴァへの偏見がスーッとなくなった(ところがのちになって気づくのだが、もちろんこれはあの悪名高き最終話のifストーリーからとってきた映像だからそうなっていたのである)。それとBGMとして主題歌の「残酷な天使のテーゼ」が流れていて、その「少年よ神話になれ」というフレーズにも衝撃を受けた。それから当時出始めだったYouTubeでオープニング映像を見つけて、何度も見た。あのフラッシュカットを多用してユダヤ神秘主義の象徴を散りばめた映像に、中二の私は虜だった。まだ本編を見てもいないのに私のなかでエヴァはものすごく大きな存在になっていったのである。これとおんなじ経験をした人っていませんでしょうか。「IQサプリ」からエヴァに入りましたよって人。

 ただしもうひとつきっかけがあって、これとIQサプリとどちらが先だったのかは思い出せない。ほぼ同時くらいではないかと思う。私の父は映画『2001年宇宙の旅』が好きで、この作品には明示されていないテーマがあるというようなことをよく熱弁していた。父は何度も見てそれを自力で理解したらしい。それは人間が神に進化するということだった。私はうちにあったビデオで『2001年』を見て、そして父の話にけっこう感心してしまった。それ以降「作品には隠されたテーマがある」ということに私は夢中になり、意図的に深いテーマを隠したような作品を探すようになった。それで見つけた作品がある。うちに東映の特撮テレビドラマの解説本があって、そこに『キャプテンウルトラ』の全話解説が載っていたのである。『キャプテンウルトラ』というのは『ウルトラQ』『ウルトラマン』『ウルトラセブン』のあとにやっていた特撮番組である。タイトルに「ウルトラ」と付くが「ウルトラマン」シリーズではなく、巨大怪獣は出てきても巨大ヒーローは出てこない。そもそも円谷プロが携わっていない。『帰ってきたウルトラマン』が放送されてからは「ウルトラマン」シリーズが定着してしまって、その前にやっていた『キャプテンウルトラ』は忘れられている感がある。そういう作品である。この『キャプテンウルトラ』の最終回は意味不明なシーンで幕を閉じる。怪獣たちとの最終決戦は最終回の前の回で済んでいて、最終回は宇宙の果てとか無限とか哲学的なテーマを提示して何故かお花畑でみんな笑っているシーンで終るのである。先述の東映の本の解説で、この何も説明しないまま終る謎多き最終回は「エヴァンゲリオンの先を行っている」と書いてあった。それで「エヴァって最後そうなるんだ!」と知った。「隠されたテーマ」に飢えていた私は、エヴァにものすごく興味が湧いた。もしかしたら実際に本編を見たのはキャプテンウルトラよりもエヴァのほうが先かもしれない。しかし東映の本のキャプテンウルトラの解説が、私にエヴァへの興味を駆り立てたきっかけである。

 「IQサプリ」と『キャプテンウルトラ』と、どちらも私にエヴァを強烈に印象づけたのだが、前者は「アニメの絵や映像への興味」、後者は「哲学や文化や思想への興味」だったわけで、これらはいまだに私を突き動かしている。当ブログのテーマでもある。

 初めて『新世紀エヴァンゲリオン』という作品を見たとき、「この作品を理解したい」と強く思った。それは父が「『2001年』を理解したい」と思ったのと同種の感覚かもしれない。情熱というより執念や執着のようなものだったと思う。インターネットを駆使して作品の批評や解釈を読むということを覚えた。まだSNS誕生前夜である。何かを理解したいという飢餓感と、それが果たされたときの恍惚、あるいは「自分だけが知っている」という優越感は、エヴァに教えてもらった。春から大学院で哲学を専攻するが、発端はここだったのだと思う。

 私は多くの人が普通にできることを、やる前に立ち止まって考えてしまうほうだと思う。「こんなことをしてなんの意味があるんだ?」とか。なにかこういう性格の形成に大きな影響をエヴァから受けていると思う。エヴァってそういう話だと思う。14歳の頃にこのような過激な作品を見てよかったのかどうかはわからないが、私はまあよかったと思っている。それで中三のときにプチ不登校になったりしたのだろうけど。これは私の意見というよりもよく批評なんかで言われていることだが、エヴァという作品のおもしろさは、エヴァという作品を通して自分を見つめることになるという点にある。理解のための考察の対象が、いつしか自分自身に向いていたのかもしれない。

 人間というのは二度うまれるのだと思う。一度目は母親の胎内から。もう一度は、人によっていつどこで起るかは違うだろうけど、自分という人間の生き方に気づくときである。初めてエヴァを見たとき、私は二度目の誕生を迎えたのだと思う。

 中三のときに『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破』が公開された。これで私はアニメの映像表現のおもしろさに目覚めることとなった。この頃から深夜アニメは見るようになっていたが*4、高校に進んでからはレンタルで名作をいろいろと見るようになり、押井守監督や今敏監督の作品のおかげでしっかりアニメというものにハマっていく。そして高三のときに『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q』が公開された。東京の大学に進むための準備で私は、先に東京の大学に進学した兄のところへ泊まっていて、そのときに一緒に観にいった。『Q』公開当時のエヴァファンのあの微妙な空気感は今もなんとなく覚えている。

 その後、私はめでたく東京の大学に受かって上京するのだが、その大学生活はすぐにダメになった。まあいろいろとあったのだけど、挫折というやつである。精神の危機みたいなものも経験した。あまり思い出したくはない。もしかしたらだけど、エヴァを見ていない人生だったらもうちょっとうまくいっていたのかもしれない。まあそんなことはないか。けれど『シン・ゴジラ』が制作・公開される頃に、私は別の大学に入り直すことに成功して、少し持ち直した。まあそこからもいろいろあったけれど。

 『シン・エヴァンゲリオン劇場版』は、『Q』のときと同じく兄と観にいってきた。まもなく私は僻地に引越して、引き続き学究生活となる。けれど、東京にいるうちにまた一緒に観ることができてよかった。やはりエヴァという作品は、作品を見ているようで自分を見ることとなる。みんなそうなんじゃないだろうか。自分の8年間や、エヴァと出会ってからの人生を振り返るために観るのである。

 終った直後は呆然としていて感想なんて思いつかなかったのだけど、ひとつだけ。「生きててよかった」と思った。観終ってしばらくして、この「生きててよかったな〜」という感想だけが出てきた。なんかこの言葉を自分のなかで反芻していたら泣けてきてしまった。『Q』以降いろんなことがあったけれど、またこうして生きて『シン・エヴァンゲリオン』を観ることができた。あの頃は『Q』のラストの数十秒の予告と「シン・エヴァンゲリオン劇場版」というタイトルしかなかった。それがこうして作品として形になった。それまでの間を、私は確かに生きていたのだ。というか、『新世紀エヴァンゲリオン』と旧劇場版を見るまで、それから『破』を見るまで、それから『Q』を見るまで、それぞれにいろんなことがあったけれど、私は確かにそれらの期間を生きて、そうして『シン・エヴァ』まで見た。そして、ここまで見ることができてよかったな〜と思った。そういうことなのだ。なんかもう今はそういう感想しかないです。

 

 なんだかオードリー春日さんみたいに「観にいくまで」が長くて尻すぼみな内容になってしまった。もうちょっと内容のある感想もいつか書きますよ。そのためにもう一度見る必要があるかもしれないけれど、もう見たくないような気もする。そういう感じです。

 

 

 あとこれだけ言わせて。

 

 

 さようなら、全てのエヴァンゲリオン

*1:それと哲学や論理学の考察・解説と。

*2:これはいまでもわりとそうですが!

*3:紙に絵を描いてセルに写して絵具で色を塗ってカメラで撮影するやつです。

*4:ちょうどこの頃あの「エンドレスエイト」が放送されて、幸運にも私はリアルタイムで見て困惑を味わうことができた。