曇りなき眼で見定めブログ

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【感想】「えんとつ町のプペル」と「鬼滅の刃 無限列車編」と「羅小黒戦記(中国語音声・日本語字幕)」を観てきたぞ!

 某所で森本晃司さんの原画展示販売をやっていたので行ってきた。原画を買うお金はないが、ポストカードも売っていたので買った。

 ところでこのブログを読んでいる方がどういう方なのかわからないが、貴方は森本晃司さんをご存知だろうか? 天才的なアニメーション作家である。森本さんはもともとはアニメーターで、のちに監督業もやりだして近年は舞台とも関わりがある。アニメーターとしては、有名な作品だと「AKIRA」にメインスタッフとして参加している。監督としてはミュージックビデオやCMなどのショートフィルムをよく手掛けていて、GLAYの「サバイバル」のMV*1なんかは見たことがある人も多いのではなかろうか。

 森本晃司さんの原画展に行く途中で「そうだ、きょう『プペル』も観よう」と思い立ち、原画展に行った足でそのまま行ってきた。森本さんと「えんとつ町のプペル」の繋がりがなんなのかというと、まず「プペル」を制作したSTUDIO4℃は、もともと社長の田中栄子さんが森本さんとともに創設したスタジオである。森本さんは現在すでに独立しているので直接の関係はないが、森本さんの作風は4℃に受け継がれている感じである。また「プペル」のキャラクターデザインを担当した福島敦子さんは森本さんと御夫婦だったりする。福島さんもまた天才的なアニメーターで、コミカルな動きに定評があるとともにデザインセンスというか美的センスもあって近年はキャラクターデザインやイラストをよく描いておられる(「ポポロクロイス物語」とか)。このお二人は個人的に最も好きなアニメーターで、それが夫婦なのだからすごい。

 なにゆえ三段落もかけてこんなことを書いたのかというと、私のアニメに対するスタンスをご理解いただくためである。私は、アニメこそが最高の藝術であり娯楽であると信ずるアニメ至上主義者である。

 羅小黒戦記の中国語音声・日本語字幕版をまえまえからチネチッタ川崎*2でやっていると聴いていたので翌日のチケットを買っていたところで、このまま「プペル」を観て、間でずっと見ていなかった無限列車も観たろうと思って観てきた次第。

 いろんな意味で話題になっている「鬼滅の刃」と「プペル」、そして私が近ごろ激推ししている「羅小黒戦記」という三作品を、できるかぎり「曇りなき眼で」見て、感想を書きたい。

えんとつ町のプペル 

西野さんと4℃について

 まず、私は西野さんという人が嫌いではない。むしろけっこう好きである。「はねるのトビラ」世代だし、昔「キンコンヒルズ」という番組を夕方の「銀魂」のあとの時間にやっていて銀魂といっしょに見ていた。漫才もおもしろい。「ゴッドタン」の劇ピンとのやりとりも好きである。まあ実業家としては明らかに胡散臭いけれども、嫌いになれない魅力がある。そういうところが付け入る隙なのかもしれないが。ここでは西野さんの人物評みたいなことも書くが、それはアニメ評のために必要なだけにとどめる。なるべく。なるべくね。

 さてSTUDIO4℃が吉本と組んだのには前例がある。それは「マインド・ゲーム」(2004)というアニメ映画で、主演の今田耕司さんほか主要キャストを吉本の芸人さんが担当している。この作品はカルト的な人気があって、私はそこまで好きではないのだが、客観的に見て優れた作品と思うし魅力は理解できる。このときは吉本はキャスティングやプロモーションに協力はしても、中身にまでは介入していないと思う。今回は製作総指揮が西野さんで、西野さんは先日吉本から独立されたが、本作は吉本がしっかりとバックアップしている。その吉本色というかタレント色というか西野色がどうなのか、というのが、アニメ好きとしての争点である。

 本作の魅力は、4℃ならではのポップなビジュアルである。4℃制作のアニメで「大砲の街*3」(1995)や「鉄コン筋クリート*4」(2006)といった作品があるが、これらに似て、奇妙なガジェットや建造物がゴチャゴチャとひしめく世界観が「プペル」の良さだと思う。色彩もどぎついけどまあ綺麗である。そして前述のとおりキャラクターデザインの福島敦子さんが私は大好きで、この人の造型は本当に素晴しい。福島さんがキャラクターデザインと作画監督を担当した作品で「ラビリンス・ラビリントス*5」(1987)というのがあるのだが、これにシビれてアニメの絵や作画に興味を持った人も多いと思う。また(クレジット上は違うが)キャラクターデザインの一部を担当している作品で「グリム童話 金の鳥」(1987)というのもある*6。これはまったく有名ではないのだが、アニメ史に埋もれてしまった大傑作である。またオムニバスOVA「ロボット・カーニバル」のオープニングとエンディングのキャラクターデザインと原画も福島さんで、これも好き。大友克洋*7の影響で頭身や陰影やメカのディティールなどでどんどんリアルを追求していった当時のアニメ界にあって、かわいいキャラクターにリアルかつポップなアクションをさせるといういいとこどりな作画を実現していた方であると私は思う。私が羅小黒戦記が好き理由もここにある。4℃制作のオムニバスアニメ映画「ジーニアス・パーティ*8」(2007)のオープニングの「GENIUS PARTY」は福島さんが監督を務めており、キャラクターの絵柄は「プペル」に通ずるものがある。「プペル」公開に先立って福島さんが描いたキービジュアルがメディアで使われていて、それがすごく良かった。4℃と福島さんが組んだ作品としての期待もアニメ好きとしてはあったわけで、それはまあまあ満足できた。

脚本家・西野

 見始めてしばらくして困惑した。会話がちゃんと成立していないシーンとか、くだりとして成立していないシーンとか、そういうのが頻発するのである。ミュージカルシーンは良いと思うのだけれど、そのあとゴミ人間(プペル)はなんであんなに罵られたのだろう。ルビッチは何で「友達になって」とか言ったのだろう。見ていくとわかるが「友達」ってこの映画では重要なテーマではない。あとちょっとした回想かと思ったらやたら長くて本筋がわからなくなるシーンや、夢なのかなんなのかわからないシーンとかもある。何がどうしてそうなった? というシーンが頻発するし、オマエはそもそもどこの誰だ? というキャラばかりである。なんか怪しそうな人が出てきて正体は敵だったのだが、そもそもオマエは誰だ。

 しかしオリラジの藤森がCVをやっているスコップというキャラがけっこう良かった。藤森はこういうの上手いんだな〜と感心してしまった。けれどもここに重大なミスというか欠陥があると思うのだが、このスコップのキャラがあまりにも良すぎるのである。なんかプペル以上に作品世界における重要人物っぽいし、相対的にプペルがただの木偶の坊に見えてしまった。

 またすごく違和感があった点がある。ルビッチは空に行きたいのか海に行きたいのかどっちなんだ!? となっていくのである。空に関しても青い空なのか星なのか。そして星が見られればいいのだから空に行く必要はなかったりとか。重要なモチーフが、空と海、青空と星空、煙を晴らすことと飛ぶこと、などと分裂して揺らいでしまっているように思った。

 あと異端審問官という設定がなんだか幼稚に感じられた。正統はなんなのかよくわからない。あのおカネのやつだろうか。というか異端審問官がそんなに怖くない。ルビッチと同年代の子どもの、ジャイアンみたいな奴としずかちゃんみたいな奴とDJ松永みたいな奴が出てくるのだが、こいつらのほうが怖い。異端審問官とかそれほど暴力を振るっているわけではないのに洗脳されているこいつらのほうが。なんで星が見たいとか言っただけでブン殴られるのだろう。でもそういう世界の話として見ればけっこうアリなのかもしれない。

 こうした点は最初は監督が悪いのかなと思ったのだが、脚本を西野さん自身がやっているようなので、おそらく普通に脚本が拙いのだと思う。映画脚本家としては素人である西野さんの、単なる力量不足であろう。そして、観た後で原作も見たのだが、上に挙げた点の多くが原作にはない映画オリジナルの設定であった。原作は絵本だからもっとささやかな話になっている。2時間弱のお話にするために考えた設定が尽く裏目に出たのも、やはり西野さんの力量不足というかアニメ映画というものへの知識やノウハウの不足が大きいと思う。

 先程ちょっと触れたが、途中でおカネに関する珍説みたいなのが出てくる。これは西野さん自身の実業家としての思想が出ているのだろうか。時間とともに腐ってしまうお金というのがあったらみんな積極的に消費するようになるだろうが(マイナス金利みたいなことだと思う)、そもそもどうやって流通させたのだろう。これも原作にはない。

 西野さんの思想面としては、挑戦の大切さみたいなのをがんがんセリフで言ってくるのだが、あれはどう考えてもくどい。西野さんはおもしろい映画を作りたいのかアジテーションをしたいのかどっちなのだろう。原作ではルビッチとプペルが二人だけで空に行って星を見るのだが、映画では煙を晴らしてみんなに星を見せている。これは映画のメッセージ性を考えると重要な変更点だと思う。それ自体が良いか悪いかはまた別で、これについては後ほど。

 とにかく、このように欠点を挙げればキリがないし、しかもそれが映画を映画として成立させるうえで致命的なものもいくつかある。しかし、私はこの作品に対してそれほど悪いイメージは持っていない。

何がいけなかったのだろう

 思うに、絵本作家としての西野さんと実業家・アジテーターとしての西野さんと芸人・エンターテイナーとしての西野さんはそれぞれ別方向の才能で、それらがグチャっとしてしまっているのが本作の失敗なのだろう。絵本のエンディングのあの余韻が残る感じが、アジテーター西野の大声で見事に踏みにじられてしまっているように感じた。作品のメッセージ性を映画ように変えるのは良いと思うのだが、「アニメ映画として良くするため」というよりは「より『西野』を出すため」に変えてしまっているように感じられる。また、ギャグシーンもあまりおもしろくなかったのだが、やはりお笑い芸人のお笑いと映画のギャグはまた別なのだろう。これについては多くの吉本芸人監督映画が痛い目を見ている。

 では「4℃はすごいけど西野さんがダメ」というのが私の感想なのかというとそうではない。

 絵本作家としての西野さんの絵は、けっこう4℃周辺のスタッフの創作意欲をくすぐるものだと思う。プペルに関しては分業で制作したようで絵は西野さんが描いたものではないらしい。しかしそれ以前の彼の絵本作品を見ると「プペル」の絵や作風にもかなり西野さんのセンスは反映されているように思う*9。また調べたら「プペル」は2012年に西野さんがNONSTYLEの石田さんらとサンリオピューロランドでやった舞台がもとになっているようで(絵本は2016年)、その頃の西野さんが描いたイメージイラストみたいなのも見かけたのだが、やはりとても良い。当然絵本の「プペル」とは画風がちょっと違うのだが、全く違うわけではない。ちゃんと絵本に活かされている。むしろこっちの絵のほうが私は好きである。

 Eテレの10分番組とか、ビットワールド内での放送とか、そういう感じのアニメだったらもっとおもしろかったかもしれない。それでは西野さんや吉本は不満かもしれないが、「PUIPUI モルカー」はそういう感じの枠でも爆発的人気を獲得したので、やはり作品の質が大事であろう。Eテレのアニメでもいいが、「ジーニアス・パーティ」みたいな感じで、西野さんの他の絵本を原作に、現場主導で短編を作るとかどうだろうか。4℃はもう西野さんと組むのはこりごりだろうか。でも今度は明石家さんまさんのプロデュースで西加奈子さんの「漁港の肉子ちゃん」をアニメ化するそうだから、依然として吉本との関係は良好そうである。西野さんと吉本との問題はあるけど。

 西野さんという人はそういうところがある人だと思っている。私はキングコングの漫才はおもしろいと思うし「はねトビ」も好きだったが、西野さんはその程度の評価では満足できないのだろう。イチバンじゃないと。けれど藝術というか創作というのは、何を以てイチバンとするのかが難しい。カネを稼いだ額ならばそりゃあキメヤイがイチバンだろうが、後述するように私はあんまり高く評価しない。また、ゴッホカフカのように死後に評価される天才もいる。ピカソ松本大洋のように、あるていど美術史や藝術論を知らないとすごさが理解できない領域というのもある。森本さんや福島さんもこのピカソの類だと思う。もっというと円空ヘンリー・ダーガー*10のように「評価」という行為自体の無意味さを感じさせるタイプの人もいる。だからこそ作品を作ったり見たり感想を言ったりするのはおもしろい。

 本作はアニメ映画としてもっと良くなる可能性はあったと思う。芸人が映画に挑戦する際に起こりがちなのだが、なぜ自分が素人だという自覚がないのだろうか。北野武監督という成功例があるからだろうか。たけしは映画というものをよく研究していて、自分の芸人としてのセンスやノウハウがどれくらい通用してどれくらい通用しないかを見極めるクレバーさを持っていると思う。それくらいちゃんと考えたか、西野さん。西野さんがアニメや映画のことをもっと勉強して、リスペクトして、自分の才能の使い方とアニメ界の才能の活かし方を工夫すればもっと良くなったと思う。西野さんの尊敬するウォルト・ディズニーはそうしているはずだ。自分の「想い」みたいなのをもっと封じるべきではなかろうか。西野さんがどういう映画が好きなのかはわからないが、名作って大抵そうした抑制のおかげで成り立っているはずである。どうも、純粋にアニメ映画として勝負することに怖気付いて「西野」を全面に出すような物語や設定を付け足したように見えなくもないのだが。残念ながらそれによって本作は駄作になってしまった。

まとめ

 4℃は世界的に高く評価されているスタジオである。私は、西野さんの絵本的なセンスと4℃が上手く融合すれば、じゅうぶん世界で戦える作品になっていたと思っている。それをダメにしたのは、他ならぬ西野さんの屁理屈である。西野さん自身がもっと自分のセンスと実力、そして仲間の技量を信じるべきだったのだ。

 しかし、いちおう何かしらの挑戦のあとはうかがえるし、西野さんと4℃との相性の良い部分も見えかけはしたと思う。西野さんという人物と同じように、私は「えんとつ町のプペル」がなんだか嫌いになれない。

鬼滅の刃 無限列車編

 原作の感想はこちら。

 「鬼滅の刃」(原作)を読んだのでその感想 - 曇りなき眼で見定めブログ

 私の「鬼滅の刃」(以下:キメヤイ)に対する評価をひと言で表すと「それなりにおもしろいが、好きではない」である。

 なお原作は借りて読んだのでいま手元にはない。なので参照しながら書けないため、間違いや記憶違いがあるかもしれない。申し訳ありません。お気をつけください。あと私はテレビアニメは一部しか見ていないので、テレビアニメに対しても言えることをも指摘してしまっています。

 さて、映画の感想を。たいへん申し上げにくいのだが、物凄くつまらなかった。

作画など

 作画などビジュアル面のクオリティは悪くない。粗製濫造的な日本アニメ界においてはかなり良いほうである。しかし劇場大作的なものと比べると決して良くはない。ufotable作品は深夜アニメのなかでは光るが、今回のキメヤイ劇場版ではそれに大きく上乗せはできておらず*11、例えば近年の細田守新海誠監督あたりの作品の水準には達していない。いわんやジブリやIGの押井作品などには遠く及ばない。しかも今回は直後に後述の「羅小黒戦記」を観たので、ハッキリとそれを実感した。おそらくufotableの方針として、上記の劇場大作系のようにスペシャル・アニメーターみたいな人を起用せず、あくまで社内でやって作風を統一していこうとしているのだと思う。京都アニメーションがそのような手法を採っている。しかしキメヤイを観た感じではそれが京アニほど良い効果を生んでいるようには見えなかった。「Fate」のようなファンタジックな世界観には合っていると思うのだが。また、これは仕方のないことだが、羅小黒戦記も同じように小規模なスタジオで作っているにも関わらず日本の劇場大作に匹敵するかそれ以上のクオリティになっている。これはもう実力が違うとしか言いようがなく、製作上こうすればよかったとかは無い。

 技を繰り出す際のCGエフェクトは綺麗で、これはテレビアニメから引き続き良い。あと呼吸の系統を説明するCGとか夢や無意識の仕組みを説明するCGとか、図の作りはけっこう良かった。けどこんなところを褒めてもあんまり意味ないか。

 煉獄さんと猗窩座の戦闘シーンの評判が良いようなのだが、それほど上手くはない。なんというか、上手そうに見せるのが上手いというのか。あとでまた指摘するのだが、戦いにリアリティがない。殺し合いをしているという感じがしないのである。なんかこちらに見せつけるように戦ってる感を出しているだけというか。ここを担当した演出家やアニメーターはチャンバラやストリートファイトというものをやったことがないのだろうか*12。剣というのはブンブン振り回せばいいというものではない。振った瞬間に剣の重みでバランスが崩れて隙が生じる(その重量感がなかったらそもそも剣という武器を使う必要がない)。拳もまた然り。だからこそ達人同士の戦いはジリジリとした間合いの取り合いを含む。その駆け引きまで作画で表現し、なおかつエンターテインメントとして魅せる演出も加えるのが超一流のアニメーターである。剣戟の作画としては「THE八犬伝」シリーズ*13(1991-1995) や「ストレンヂア 無皇刃譚」(2007)が評価が高い。「八犬伝」は作画が良いとかそういう次元ではないので置いておくとして、これを期に「ストレンヂア」は再評価されるべきである。キメヤイを見てすごいと思った方は是非「ストレンヂア」も見ていただきたい。

 頻発する回り込みカメラワークとか、煉獄さんが最期の一撃を喰らわせるところの作画枚数が増える感じとかも、演出上の効果を出すためというより「やってる感」を出しているだけに思える。こういうのは「へぇ〜じょうずだな〜」とはなるのだが「う、巧い…」とはならない。

 あと原作の感想で私はキャラクターデザインのセンスがあると書いたのだが、猗窩座に関しては「武の探求者」という感じがあまりしない。顔が若くて綺麗すぎるしちょっとチャラい。身体も細すぎる。もっと愚地独歩みたいな感じだったら説得力があった。石田彰さんの声はビジュアルにはあっているが「武」のイメージには合っていない。

煉獄さんてそんなに良いキャラだろうか

 原作の感想でも書いたのだが、私は煉獄さんがそれほど良いキャラと思えない。初対面で炭治郎と禰豆子を殺そうとし、そこから特に考えを改めることもないまま無限列車編に突入する。無限列車編でもその印象の悪さを回復することもないまま死んでいったように感じられ、後の展開でもただ言葉の上でだけ「煉獄さんはすごかった…」と言われ続ける人、というのが私にとっての煉獄さんである。

 実質的に煉獄さんの見せ場というのはこの無限列車編のみとなる。原作の無限列車編を読んだ際に感じた違和感が、映画ではより強まってしまっていた。どういうことかというと、煉獄さんがやったことといえば、 眠らされる、魘夢の触手と戦う、炭治郎にアドバイスする、猗窩座に負けて死ぬ、これくらいなのである。映画のなかでは半分くらいは眠っている。自力で目覚めた炭治郎のほうが偉いのではなかろうか。そして魘夢を破ったのは炭治郎である。煉獄さんの凄さが出るのはやはり猗窩座と戦うところなのだが、これは最終的に煉獄さんは負けるわけなので、やはり微妙である。

 これではあまりにもショボい煉獄さんの印象を、補足するかのように魘夢が「アイツのせいだ」みたいなことを言い、死んだあとで駆けつけた善逸がものすごく後付けっぽく「あの人のおかげで…」ということを言う。原作に関して言えば、週刊連載である以上は計算が狂うこともあるからこうなるのだと思う。つまり本当はもっと煉獄さんが活躍すべきところなのだが主人公の炭治郎が下弦を倒すことを優先させてしまったがために失敗した感じがする。なので後の回でセリフの上で補足して煉獄さんの評価を上方修正したのではないかと。よってせっかく映画化するのだったらこのあたりを改変してオリジナルな煉獄さんの見せ場がたくさんあればよかったのだが、それはまったくといっていいほど無く、むしろひとつのエピソードとしてまとめて見たことで「ずっと眠っている」という印象が強まってしまった。

 炭治郎も伊之助も善逸も、そんな煉獄さんにそれほどの想い入れはあるのだろうか。善逸に至ってはほぼ業務上の会話しかしていないだろうし。

その他の難点

 ここまででも結構書いたがそもそも原作からして疑問点が多い。煉獄さんと猗窩座が戦うところで炭治郎と伊之助は傍観しすぎではないだろうか。「は、速い!」みたいなことを言って二人のハイレベルな戦いに入っていけないということなのだろうが、それもやはり「言ってるだけ」のように感じる。先述のとおり剣や拳をブンブン振り回しているだけで、猛者同士の戦いだということは見ただけではよくわからない。第1話の炭治郎だったらもっと何か策を練るのではないかと思う。

 原作の感想でも書いたのだが、キメヤイという作品には社会性というものが欠如している。大正時代という設定なのだが*14、それもそう言っているだけという感じで読んでいても伝わってこなかった。無限列車編は鬼殺隊と社会との接点が描かれた数少ないエピソードで、帯刀していることが警察にバレると捕まるというくだりがあった。大正時代なのだから当然である。しかし映画ではそのくだりはカットされていた。それは個人的に残念だった。これはいったいいつどこの話なのだろう。

アニメはマンガではない

 これは日本アニメの共通の欠点なのだが、本作はそれを最も体現していると思われるため、細かく指摘する。それは、マンガ原作に縛られすぎているという点である。

 前述のとおり私は剣戟の作画や演出に不満があるのだが、これはやはりマンガの感覚をアニメ・映画に持ち込んでしまっているからだと思う。マンガ的な、静止画として見たときに綺麗なレイアウトを主体にして作画しているのであろう。その証拠に、キャラクターが戦闘の要所要所で時間が止まったかのように決めポーズをしている。スタッフさんには映像という表現ともうちょっと格闘していただきたいのだが、どうだろうか。

 最初の煉獄さんの登場シーンはけっこう印象的で、煉獄さんが座席で弁当を食べながら「うまい! うまい!」とサイコな目付きで言っている。これは原作どおりなのだが、原作では「『うまい!』とだけ書かれた吹き出しがいくつも描かれている」という絵面がおもしろいのであって、声に出して言ってしまったらおもしろさが激減すると思う。マンガという二次元平面上では効果的な演出だが、声に出すとなると「うまい!」をひとつずつ順番に発音せざるをえず、そもそものギャグの趣旨が変ってしまっているようにすら思う。

 たびたびキャラクターが大声を出して顔がアップになるカットがあるのだが、マンガの効果線みたいな背景が描かれている。原作が手元にないので確認できないのだが、あれはマンガのコマをそのまま再現しているのだろうか。そんな絵を映画のスクリーンで見せられてもなあ、という感じである。独特の描線もマンガの描線を再現しているのだろうが、ただ再現しているだけ、という感じである。

 あとこれはダメな映画に典型的な特徴なのだが、言われなくてもわかるようなセリフが多い。「精神の核を破壊しないと!」とか言ってる暇があったらさっさと破壊しろ、と思う。これはマンガでも要らない部分だが、アニメだと発音に時間を要する分よりムダに思える。

 もっと根本的な問題なのだが、技の名前を大声で叫ぶのはやめたほうがいい。アニメのキメヤイでは、心のなかで言っている場面もあれば声に出している場面もあった。技を出すときに声に出したらバレる。それに大声を出したら疲れるだろう。特にキメヤイでは呼吸が重要なモチーフになっているのだから、声を出したらマズいだろう。マンガでは文字で出るだけで、キメヤイの技名はカッコイイ漢字で書かれるから効果が出るのだが、アニメではどうしても悠長に見えてしまう。

 セリフに関してもっというと、人と人が対峙しているのに片方がベラベラ喋ったり心の声が長々と入ったりして、その間相手は「ぐぬぬ」みたいな顔をしているだけで手を出さない、というシーンが多い。世のアニメ・映画の視聴者・観客に提案したいのだが、こういった演出に慣らされてはいけない。これは「映画的なお約束の演出」などではなく、単に工夫に欠けているだけである。つまりここで片方が喋って片方がぐぬぬとなる必然性や正当性を考えることを放棄しているのだ。そういう工夫に欠けた作品が量産された結果なんとなく許されるようになってしまったというのが現状である。こういうのが世に蔓延ってしまってはアニメや映画はつまらなくなるから、こうやって厳しいことを言う批評の役割はあるのだと思う。あるいはもしかしたら作り手はもうそういうものを見て慣らされて育った方たちで、こうしたシーンをなんら不自然と思わないのかもしれない。だとしたら怖い。テレビアニメの小さい子ども向けの作品とかならばアリだと思うのだが、お金をとって2時間集中させる劇場作品でかつ命のやりとりをする真剣なお話でこれはやるべきではない。

 そして乗車したところなのだが、列車内なのにうるさい。うっせぇわ。周りに乗客がいるのだから静かにするか、周りからもっと変な目で見られていないとおかしい。これは辻褄が合っていないという指摘とはちょっと違う。まして揚げ足取りでもない。「周囲にただの乗客がいるなかで鬼と戦わなければならない」という緊迫感が全く感じられないという、演出上の欠陥だという話である。そして車掌が露骨に怪しい。コイツ明らかに敵だろう、という感じ。守らなければならない乗客や乗務員がいて、しかもその人たちのうち誰が敵で何が起こるのかわからない、みたいな、列車というシチュエーションならではの攻防は一切ない。これは原作がそうなのだが、すごく映画で活かし甲斐のある設定なのに映画化に際して何のアレンジもなかった。最終的に乗客の命を守れるか否か、「誰も死なせない」ということ、が重要なテーマとなるのだが、やはり原作と同じで「守った」とセリフで説明されるだけで終ってしまう。

 あとさすがにみんな泣きすぎである。まず幼い子どもでないかぎり人はそんなに泣かない。ひと泣きの価値が薄れる。また涙の絵の表現にも問題がちょっとある。大粒の塊がボロボロ落ちるという表現が多いのである。これは原作の絵がそうだからなのだが、そもそもこの原作の涙の絵はあまり上手くないと思う。アニメ化するに際してここはグレードアップしたほうがよかったのではないか。ここも連載で読んでいたらそれほど気にならなかったかもしれないが、映画にすると「ずっと泣いてるな、コイツら」という印象が残る。

 あと、アニメというか映画というか映像作品て、こんなに「心の声」が出るものだろうか。こういうところも原作マンガの表現力不足だと思う。もっといろいろ工夫を尽くせば吹き出し内に言葉で心の声を書くというのがこれほど頻発することもなかったろうと思う。で、それをそのままアニメ化してしまっている。心の声というのは実写映画では見ない気がする。マンガ原作の実写映画ではけっこうあるだろうか。やはり原作に縛られすぎではないだろうか。

 逆に大声で叫ぶシーンもやたらと多い。これに関しても、人ってそんなに咄嗟に大声を出すものだろうか。花ちゃん(炭治郎役の花江夏樹さん)もやっていて疑問を抱かなかっただろうか。こんなに泣いてていいのか、心の声ばかりでいいのか、叫びどおしでいいのか? って。リアリティがないからダメだというのではない。「泣く」「心の声をそのまま声優がやる」「大声で叫ぶ」以上のおもしろい演出やアイデアがなさすぎて凄くつまらないのである。

 とにかく、下手に原作を改変して叩かれるくらいならそのままやる、という精神を貫徹している。これは「原作をリスペクト」といえば聴こえはいいが、単に冒険心がないだけにも思える。原作を逸脱した結果、原作者や原作ファンには死ぬほど怒られたがひとつのアニメ作品としては評価されている、というような作品もあるのだから*15。しかしヒットしたのはその保守性のお蔭なのだと思う。アニメっていったいなんなのだろう、と悲しくなってしまった。ufotable作品にあまり詳しくないのだが、ufotableの人気というのはアニメ化した作品の原作ファンからの人気に支えられているのではないだろうか。アニメ至上主義者の私としては、これだけの技術を持っているスタジオが(言い方は悪いが)マンガやゲームのファンに媚びたようなアニメを作ってしまうのを悔しいと思う。ufotableの人たちって、アニメが好きじゃないのかな? とすら思う。本当に自分の仕事にプライドを持てているだろうか? 納得のいくものが作れているだろうか? なんか心配になってくる。「白黒の線画と文字でしかなかったものに色と声と音楽が付いた!」というお得感がこの作品のすべてである。これはアニメ映画ではない。マンガを大声で朗読した作品である。そして原作の無限列車編がそれほど良いと思えない私からすると、「物凄くつまらない」という評価になってしまう。

まとめ

 というわけで、なんだか批判ばかりになってしまったが、決して悪い作品ではない。ヒットしすぎだとは思うが、それは作品の中身とは関係がない情報なので置いておく。「マンガ原作の劇場アニメはまあこんなものだろう」という丁度それくらいのレベルの作品である。そういう類の作品の平均レベルがそもそも低いと私が思っているだけである。

羅小黒戦記(中国語音声・日本語字幕)

 本作を見るのは三回目である。字幕版は初めて*16。字幕にもいろいろ種類があるようで、私が見たのは最新字幕というやつだろうか。わからん。オリジナルの山新さんの声だとシャオヘイが生意気な感じでいいね。

 Twitterとかでいろんな方の感想を見ていると、細かい注目点がいろいろあるようで、ムゲンがシューファイからシャオヘイを奪還するところで、ちぎれたヘイショを懐に入れるのも確認した。シャオヘイがこれと入れ替わるシフトチェンジ*17みたいな術を使う。あと花の妖精と話しているところで手前をアクウとイエツが通るのも確認した。

 やはり字幕だとセリフよりも情報量が限られるようで、私はムゲンの「いろいろ見せたくて」というセリフが良いと思ったのだけど字幕にはなかった。あれ中国語ではどうなのだろう。

 こうして「プペル」とキメヤイ無限列車と連続して見ると、いかにこの作品が優れているかということがよくわかる。前二作の難点として挙げたところが本作には一切ない。作画に関してはufotableなど比較にならないほど良い。そして説明的なセリフはほぼない。あっても緊迫感を保ったまま放たれる。

 そして上記のような、三回目にして初めてわかる発見とかもある。これは本作がわかりにくいということではなく、それだけ作り込まれているということである。なんでか知らないが、映画というのはわかりすぎないほうがおもしろいものである。自分なりに考えてみるに、現実世界というのもすべてがわかるものではない。なのでよくわからない部分が出るほどに世界観を作り込んだほうがかえってリアリティが出るのだろう。

比較と総評

 というわけで「プペル」は挑戦作だけど挑戦は残念ながら失敗している。しかし無限列車編にはそうした挑戦の意思が感じられない。羅小黒戦記は挑戦にみごと成功している。よって

  • 「プペル」は、傑作をめざした駄作
  • 無限列車編は、佳作をめざした凡作
  • 羅小黒戦記は、傑作をめざした大傑作

といえる。私のもうちょっと個人的な評価として

  • 「プペル」は、駄作だけど嫌いになれない
  • 無限列車編は、凡作だし好きになれない
  • 羅小黒戦記は、大傑作だし大好き

参考作品

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*1:


GLAY / サバイバル

*2:ガチンコ!」ラーメン道でお馴染みラ・チッタ・デッラのなかの映画館。

*3:「MEMORIES」というオムニバス形式のアニメ映画のうちの一本。

*4:松本大洋の同名のマンガが原作。

*5:迷宮物語」というオムニバス形式のアニメ映画のうちの一本。迷宮兄弟でも迷宮壁ラビリンス・ウォールでもないよ。

*6:そのあたりの事情はこちら

http://www.style.fm/as/01_talk/fukushima01.shtml

*7:AKIRA」の原作者かつアニメ版の監督で、「大砲の街」と「ロボット・カーニバル」オープニング/エンディングの監督でもあります。

*8:お気づきかもしれませんが、オムニバス形式のアニメには作画が良いものがたくさんあります。

*9:このへんはアニメと似ているかもしれません。アニメも大勢で作るのに宮崎アニメは宮崎駿の絵のテイストが反映されるので。

*10:非現実の王国で」という、世界最長と言われる小説を、死ぬまで誰にも見せずにひとりで書いていた人物。

*11:私は「Fate」や「空の境界」を観ていなくてそのあたりは判断できません。すみません。「魔女っこ姉妹のヨヨとネネ」は観たが、これについてはキメヤイと同じような評価です。

*12:そりゃないだろうけど。

*13:マニアの間では有名ですが、前述の「マインド・ゲーム」の監督である湯浅政明さんがメインで原画を担当した伝説的な回というのがあります。おそらく作画好きならば誰しも見たことがあるのでしょうが、作画に興味はあるけどまだよくわからないという方は見てみてください。dアニメストアなんかで配信もされています。「THE 八犬伝 新章」第4話「はまじ再臨」です。

*14:遊郭編がアニメ化されることに関して議論があったりなかったりしたようだが、歴史とか現代社会への真摯さという点は、作品全体で軽視されているように思う。遊郭編が良くないというよりはもっと作品の本質的欠陥であるかと。

*15:うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマー」など。こちらも参照

もしかして高橋留美子ファンは押井守ファンを嫌っているのでは? そして ufotable ファンと「鬼滅の刃」原作ファンも… - 曇りなき眼で見定めブログ

*16:吹替え版の感想はこちら

劇場版「羅小黒戦記」の感想(というか讃辞)(大ネタバレあり) - 曇りなき眼で見定めブログ

*17:迷宮兄弟戦で遊戯が使ったカード。